初詣に行くために正月も朝早くから起きだしてきたのだけれども、さすがに六時になろうとする神社の界隈はとても静かで何やら一人歩きでは物騒な気配だった。神社というところはそれでなくても、少しばかり近寄りがたい鬱蒼とした雰囲気を漂わせている。ましてや老人の一人歩きとなるといいようのない心細さがもたげてくる。
もう少し遅く来ても良かったかもしれないが、何せ人混みというのは苦手なたぐいで見ているだけで疲れてしまう。そんな人間にとっては、早起きて来るのはごくあたりのまえの選択だろう。
それにしても朝が早いからといってこんなにも人がいないとはどうしたことだろうか。たしかにそれほど有名な神社ではない。近所の人がお参りする以外は、めったに遠くから来る人などいないが、それでもこの辺りではかなり歴史のある由緒正しい神社のはずである。
去年も夜が明けたばかりのこの時間帯に来たけれどもそれなりの人出はあったはずだ。
それなのに今年に限っては、後ろを向いても人がやってこないし、石段を上る途中でもすれ違う人もいない。
もしかしたら今日は元日ではないのかもしれないと、冷や汗にも似た気持ちが高まってきたが、まさかそんなはずはない。昨日はテレビで紅白を観たし、毎年、楽しみにしているクラッシックの年越しのカウントダウンも観たはずだ。
だったら一体どうしてしまったのか。
今まで通い慣れていた神社への石段の道が、ふと、見慣れない不気味なものに変わっていく感じがした。いいいようのない不可思議な気持ちを払うように一気に石段を上り、頂上にある神社の鳥居をくぐった。さすがに神社には人がいるだろうと思ったが、だだっ広い境内には祠が淋しげにあるだけで 誰もいない。
いや──
一人だけいた。
白い服を着た人が、手水舎の前で一人、立ち尽くしている。
それでなくとも元日の朝は寒い。辺りの気温が一気に冷え込んだような感じがした。
白い服を着た人物は、後ろの気配に気づいたのか、今にも振り返ろうとしていた。
おそらく、そのままそこにいたら、振り返っていただろうと思う
次の瞬間、無我夢中で石段を飛び降りるように駆け下りたのは、とてもではないけれど、そのままそこにいて白い服を着た人が振り返るのを見るのは出来なかったからだ。みたら何かを超えてしまいそうな気がした。
妖しい時空のようなものを。
慌てて駆け下りた途中で、ようやく親子連れが石段を上ってきたので、ほっとして立ち止まった。家族連れは不審な顔つきでこちらをちらりと見たが、顔色の悪い老人には、あまり関わらないほうが良いと考えたのか、何も言わずに石段を上っていった。
親子連れの後姿を眼で追っていくと、数人ほどの男子高校生らしきグループが石段を降りてくるのが見えた。気がつくと辺りはいつの間にか参拝客でいっぱいだ。
先ほどまでは誰もいなかったのにもかかわらずである。
まさに狐につままれたとはこのことなのかもしれない。
だから、その夜に心臓発作で病院に運ばれたのは偶然のことだろうか。
運よく一命はとりとめたが、救急車を呼ぶのがあと少し遅れていたら完全にアウトだった。
改めて考えると、神社での出来事は、このことへの得体の知れない予兆だったのかもしれない。
あのときは白い服の人が振り返るのを見なかったからよかったものの、このつぎ、あの白い服の人が振り向いたのを見たときはどうなるのだろう。
そう、あの白い服を着た人が振り向いたときは……


                                                公募お題「魔」 〈了〉