扉をあけると、草原がひろがっていた。
膝くらいの背丈の青あおとした草が、風にそよいで波うっているのだ。
男はしばしその場にアゼンとつったち、どこまでも果てしなくつづく草原をみつめた。
いまのいままで、繁華街をあるいていた。
今日は給料日ということもあり、ひさしぶりに派手に遊ぼうと、ATMから引きだしたばかりのお金をふところにしのばせて、意気揚々とあるいていたのだ。
それなのに、いきつけのキャバクラの扉をあけたとたん、この草原である。
いったい何がどうしたのかわからない。
そういえば、キャバクラの名前は、「トンデモ☆パラダイス」といった。
いま、眼のまえにある、見渡すかぎりの草原は、たしかにその名前がふさわしいのかもしれない。
が、同じパラダイスだとしても、草原よりは女性がいたほうがいいに決まっている。
そのために男はこの扉をあけたのだ。
それなのに眼のまえの草原には、どこを見回しても女性はいない。
「あ~ら、吉田さん、いらっしゃ~い」
と、優しく出迎えてくれるキイロイ声も、姿もない。
聞こえてくるのは、さわさわと草がそよぐ音だけ。
どこを捜したって、こんなところに女性などいるはずがない。
いるのは、おそらくヤギかヒツジくらいだろう。
男はあわてて扉をしめようとした。
これはきっと悪夢か何かだ。
現実のものではありえるはずがない。
最近、酒の飲みすぎだと自覚していたが、まさかこのような幻覚症状がでてくるとは──
男は首を大きくふって自分をたしなめた。
きっと扉さえしめてしまえば、そこはおなじみの繁華街の雑踏のはずだ。
彼がいちばん馴染んでいるはずの心やすらぐパラダイス。
そう、扉さえ閉めればいいのだ。
男はそう思って扉をしめようとしたが、先ほど開けたはず扉はどこにもみあたらず、周りには草原が広がるばかりだった。
それも360度パノラマ展望である。
男はしばしのあいだボーゼンと突っ立っていたが、徐々にこれは幻覚症状なんかではなく、現実のことだということに気づいた。
だとしたら、ここは、いったいどこなんだろう。
この見わたすかぎりのだだっ広い草原はいったいどこなんだろう。
そもそも、キャバクラの扉を開けた自分が、なんでこんなところにいるのか?
考えれば考えるほど、わけがわからなかった。
けれども、しだいにここはどこかで見たことのある風景だということに気づいた。
つい最近、この風景を見たような気がする。
いったいどこでと考えて、男はすぐにひらめいた。
そう。
写真で、だ。
一面の草原。
そこにポツンと女性が立っている写真である。
女性は後ろ向きで、しかもかなり小さく写っているので、顔はもとより年齢もわからない。
ただ、スカート姿に、ストレートの長い髪が揺れているのが、かろうじてわかるていどだった。
この写真は一週間ほどまえに、男の自宅マンションの郵便受けに入っていた。
正確には、きちんと80円切手が貼られた封筒に入れてあった。
吉田一樹様とワープロ書きされて。
差出人の名前はなかったように思う。
というのは、あのときはキャバクラ帰りで、したたかに酔っていたのであまり覚えていないのだ。
けれども写真と一緒に用紙が入っていたのは、いまでも覚えている。
用紙も宛名同様、ワープロ書きだった。
内容は、たしか……
男は必死で思い出そうとした。
あのときは、いたずらだと思ってあまり覚えていなかったのだが、なにやら不穏な内容だったような気がした。
う~んとうなって、男はすぐにもひらめいた。
そう。
この写真を見た人は一週間以内に誰かに送ってください。
というものだ。
そこまで読んで、男はすぐに不幸の手紙のようなものだと理解した。
この手紙に書いてある内容を、一週間以内に友達に送ってください。
送らないと一週間以内にあなたの身に不幸が訪れます。
その昔、小学生のころに流行ったたぐいのもので、そのときは多感な年頃だったので、送らないとどうにかなりそうな気がして困ったものである。
いまでは、さすがにそんな手紙を友達に送ったところで、不幸が訪れるわけがないとは理解している。
あれは単なる人を困らせて喜ぶ愉快犯のしわざなのだということを。
だから、その先は読まずにゴミに捨ててしまった。
けれども、いまになって気になる。
送らないと、どうなると書いてあったのだろう。
だが、それはすでに、男のこの状況がすべてを物語っているような気がした。
おそらくは、
送らないと、この写真の女性のようになる。
とでも、書いてあったのだろう。
あの、草原にひとりたたずむ女性のように──
こうなるとわかっていたのなら、誰でもいいから、あの写真を送っておくべきだった。
誰でもいいから──
だが、後悔しても、もう遅い。
あの写真はいまごろ──
そのとき、草原が突如として燃えあがった。
男ははっとすると、その火から逃れるようにあわてて逃げた。
けれどもその火は、まるで男を追いつめるかのようにじわじわと燃え広がった。


ゴミ収集車から取りだしたゴミは、すぐさま焼却炉いきになった。
そこの清掃員である中年の男は、ふと、ゴミの焼却炉で、端だけ燃えている写真を手にとって、あわてて火を消した。
「これは、資源ごみに出さなきゃ……」
そう思って写真を表に返してみようとしたが、ふと思い返してそのまま焼却炉に放りこんだ。
焼け焦げがついたのでは、資源ごみにはならないと気づいたからである。
もし、この清掃員が表に返して写真をみたら、草原に男がひとり、燃えあがる火から逃れようとしているところを眼にしただろう。
その男の運命を象徴するように、焼却炉に放りこまれた写真は、燃えさかり、あっという間に灰になってしまった。





                                             (了)