ワンナイト・ストーリー

勝手に小説を書いています。

カテゴリ: デッドエンドに花束を

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全国の中年オヤジファンの皆様、たいへん長らくおまたせしました(って、ほんとうにいるのか(笑))
〈タイムリミットは今日いっぱい〉の瀬谷刑事が帰ってきました(と、いうかムリヤリ帰らせました)
タイトルは〈デッドエンドに花束を〉です。
23日から3日間にわたって、連載予定です。
ちょっと〈腰かける女〉が終わってすぐの連載ということで、かなりバタバタしておりますが、せっかくのクリスマスネタなので、なんとか勢いでやりたいと思っています(笑)

で、今回の〈デッドエンドに花束を〉の原案は、じつは、ばっどさんで、警察マニアの私に書いてもらいたいものがあると、ゲスブで囁かれたのが、きっかけです。
ま、ここで断ったら警察マニアの名が廃るというもので(笑)
シリーズものは書くのが苦手なのですが、これは瀬谷と葉村をふたたび出動されるいい機会だと思い、ありがたく承りました。

ノンキャリアで52歳の瀬谷警部と、キャリアで30歳の葉村警視。
警察の上層部をになうのは、現場で汗を流すノンキャリアではなく、キャリアです。
そういったところが今回のお話のポイントでもあります。
だんだん〈踊る大捜査線〉ぽくなってきましたが、ま、そこのところはご愛嬌でなんとかって感じですね(笑)

そもそも瀬谷と葉村ものを書いたのは、ばっどさんのブログで、〈タイムリミット〉というお題の公募に参加するためでした。
もしかしたら、この企画がなかったら、生まれていなかったであろうと思われます。
その機会を与えてくださった、ばっどさんに、あらためてお礼申しあげます。



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夜が明ける手前の心底さむいなかを、瀬谷康介は車を走らせていた。
いつもなら、こんな朝早くに車を走らせることはない。
当直をのぞけば、出勤するときは、七時ちょっと過ぎに家を出て、二十分かけてゆっくりと歩いてくるからだ。
たしかに若いときは、こんな不規則なことはたびたびだったが、刑事一課の課長として着任してからは、そうめったにはなかった。
それなのにもかかわらず、まだ夜も明けきれていない時刻に、車を走らせるのには訳があった。
今日未明に、横浜極東警察署の外勤の巡査長が、トイレでピストル自殺をしているのが発見された。
川上潤司といって、中華街から山下公園にぬける道沿いにある、交番に勤務していた。
ちなみに巡査長というのは、正式な警察の階級ではない。
巡査を長年、真面目に務めた巡査に名づけられるのである。
が、交番勤務の三十七歳の巡査長が自殺したというだけで、刑事一課の課長である瀬谷が、わざわざこんな早い時間に車を走らせてはいない。
あわてて自宅をでてきたのは、第一発見者である、森島朋彦巡査部長からの電話だった。
森島朋彦は刑事一課の鑑識係で、発見当時、当直員として署につめていたらしい。
その森島が何を思ったのか、瀬谷に直接、電話をかけてきた。
「至急、こちらに来られませんか」と。
電話では話せない急用なのだと、瞬時に瀬谷はうけとめた。
そして、寝ぼけまなこをなんとか見開いて着替えを手早く済ませると、横浜極東署目指して、とにかく車を走らせたのである。
いつもは歩きながら、横目にみている道路の渋滞も、こんな朝早くには誰も通らないらしくて、かなりスムーズに流れている。
瀬谷はハンドルを右に切ってから、通りをまっすぐいくと、中華街の善隣門手前で左にハンドルをきり、そのまま横浜極東署の敷地に入りこんだ。
時計をみると、自宅から五分と時間が経っていなかった。


「瀬谷課長」
横浜極東署に入ると、ブルー地の鑑識の制服を身にまとった森島朋彦がすぐさまこちらにやってきた。
男にしては全体的に華奢なつくりのせいで、三十歳という年齢だが、まだ大学生ともみてとれる。
さすがに第一発見者ということで、心なしか顔色が蒼ざめてみえるが、落ちつきをはらったおだやかな眼差しはいつものままだった。
「いったい、どうしたんだ」
瀬谷はすぐさま訊いた。
「それが……」
朋彦はいったんいいよどんでから、それとなくあたりを見回した。
周りにいる署員のだいたいが制服警察官で、朝早くにもかかわらず、どことなく浮き足立っているように感じられた。
それもそうだろうと、瀬谷は思った。
同じ署員がピストル自殺をしたのだから、浮き足立たないほうがどうかしている。
しかも川上巡査長は、右のこめかみに拳銃をつけて引き金をひいたと聞く。
森島朋彦が拳銃の音に驚いて駆けつけたときには、もうすでに顔の原型がわからないほど、ぐちゃぐちゃな状態だったのだろうと察した。
朋彦は向けていた視線を瀬谷にもどすと、声をひそめるようにきりだした。
「じつは川上巡査長の拳銃から、指紋を採取しましたところ、川上巡査長本人以外の指紋が出まして」
「………」
瀬谷は間近に朋彦をみつめた。
同時に、なぜ朋彦が瀬谷に直接、電話してきたのがわかった。
「念のため、拳銃を金庫に保管する役目である警務課の担当者の指紋、それに同じ交番に勤務する警察官の指紋を照合しましたが、だれのとも合いませんでした」
「自殺した拳銃から、本人以外の指紋……か」
瀬谷は自分にいい聞かせるようにつぶやいた。
「それと、拳銃に装填されていた弾丸が五つのうち、三つしかありませんでした。一つは発射され、川上巡査長の脳をつらぬいて壁にめりこみましたが、もう一つの弾丸は依然、行方不明です」
「弾丸が一つ行方不明だと?」
「はい」
朋彦は不安げにうなずいた。
「ということは、いったい、どういうことだ?」
瀬谷は考えこむように首をひねった。
もし川上巡査長の自殺に事件性があるとしたら、いますぐ神奈川県警察本部の捜査一課強行犯捜査係の臨場を願わなくてはならない。
電話をかけるのは、刑事一課長の瀬谷の仕事である。
が、ちょうどそのときだった。
突如として、玄関先が騒がしくなった。
振り返ってみると、なにやら異様なオーラを放つ人物を先頭にして、コート姿の男たちが玄関先になだれこんでくるところだった。
一瞬にして、横浜極東署内に緊張が走ったのが、瀬谷にはわかった。
その緊張を振り払うかのように、先頭にいる人物が、瀬谷にむかって軽く会釈をした。
低姿勢とは裏腹に、あいかわらず氷のような冷たい視線をむけてくる。
その顔を認めるなり、瀬谷はニヤリとした。
「噂をすれば、影がさす、だな。どうやら、本部からのお客様のようだ」
瀬谷は朋彦に小声でささやくと、県警本部、捜査一課強行犯捜査係の面々と、その課長代理である、葉村陽一郎にむかって歩みよった。
今年の十月に、警察庁から神奈川県警察本部に出向してきた、葉村陽一郎は国家公務員Ⅰ種試験合格のキャリアだった。
まだ三十歳と若いが、瀬谷のようなノンキャリアと違って、昇任試験なしで出世でき、ゆくゆくは警察の上層部の幹部となる人材でもある。
そういった事情により、葉村は警部の瀬谷よりも階級がひとつ上の警視だった。
この世界、たとえ年下であろうとも、階級が上ならば従わなければいけないというのが、暗黙の掟だ。
それも、県警本部から来たお客様ならなおさらだった。
「わざわざ朝早くに、ご苦労さまです」
瀬谷は、わざとらしくかしこまってみせた。
「瀬谷さんこそ、お早いですね」
ニコリともしないで葉村はきりかえす。
あいかわらずの無愛想さに、瀬谷はすこしだけ頬がゆるむのを抑えきれなかった。
「ああ。なにせよれよれの五十二歳だからな。知らなかったか? 年寄りは朝が早いんだ」
いつもの調子に戻って、瀬谷は不敵に笑った。
葉村もつられたように口もとを笑わせると、捜査一課をともなって、瀬谷についてエレベーターにむかった。
着任早々の事件で初めて顔を合わせたときは、無愛想で小生意気なガキだと思っていたが、慣れてしまうと案外、可愛いものである。
だが、その葉村を含む、捜査一課がでてきたということは、今回の巡査長の自殺は、なにやら普通の自殺で処理できる代物ではないのだろうと、それとなく察せられた。
瀬谷は身をひきしめると、開いたエレベーターに乗りこみ、二階のボタンを押した。





                                           (つづく)


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刑事一課の部屋に入るなり、葉村陽一郎はきりだした。
「今回の川上巡査長の件の自殺は、内密にやれという上層部からのお達しです。鑑識と検死の結果も自殺ということで、これがくつがえることはないでしょう。ただ……」
「川上巡査長の拳銃から出た指紋が、誰のかわかったんだな」
瀬谷はてっとり早くいった。
葉村は睨みつけるように瀬谷をみた。
「ええ。その通りです。川上巡査長の拳銃から採取した指紋を指紋自動識別システムにかけたら、強盗の前科がある山根敏郎の指紋と一致しました。なぜ、山根の指紋が川上巡査長の拳銃についていたのか、上層部はこれを調べて明らかにしろということでした。警察官が持つはずの拳銃に一般市民、それも強盗犯である山根の指紋がついていたなんて、それだけでスキャンダルですからね」
「で、その肝心の山根はどこにいるんだ」
瀬谷は訊いた。
「われわれ一課、それも強行犯捜査係がでてきたということで、瀬谷さんなら、もうとっくにわかっているのではないかと思いましたが」
葉村は挑みかけるような眼差しをした。
「なるほど」
瀬谷はうなずいた。
巡査長が自殺した拳銃に、強盗犯の指紋がついていたことくらいでは強行犯捜査係は動かない。
彼らが動くとしたら──
やはり殺人しかない。
「つまり、山根は殺されたということか」
「その通りです」
葉村はうなずいた。
「隣の本牧署の管轄区域である、元町の三階建ての小西ビル。そこの三階部分の非常階段の踊り場で、今朝未明、至近距離から拳銃で右側頭部を撃ちぬかれて殺されていました。拳銃は現場にはなかったもようですが、被弾した弾丸が一発みつかりました」
「弾丸って、まさか──」
「その、まさかです。警察仕様の弾丸です。山根は川上巡査長が自殺する前に殺されていました。つまり状況的にみても、川上巡査長の拳銃で殺されたとしか思えないんです」


山根敏彦殺しの被疑者に突如うかんだ、川上巡査長の今朝未明の足取りを追うために、早朝から横浜極東署の刑事課総出で聞き込みが開始された。
川上巡査長のほかに交番に詰めていたのはひとりで、今年、横浜極東署に所属されたばかりの岸田純也巡査ということだった。
2人は、昨日の午後二時半から今日の十時半までの勤務だった。
岸田巡査がいうには、午前二時過ぎに、山下公園で強盗事件が起きて、川上巡査長がひとりで出て行ったらしい。
岸田巡査は、交番に駆けこんできた酔っ払いの対応に追われていたので行かれなかったという。
そのあと、三時ごろに帰ってきた川上巡査長は、何か上の空といった感じだったらしい。
そのとき、様子が変だと思ったが、なにせ中華街から山下公園に抜けるところにある交番である。
未明でも、その日がクリスマス・イヴということもあり、なにかと忙しくて、そういったことに構っている余裕などない。
ちょうど、中華街で酔っ払い同士のいざこざがあり、岸田巡査が駆けつけて、そこから帰ったときには、もうすでに川上巡査長はいなくなっていたらしい。
おそらく、そのときには横浜極東署に来て、トイレで拳銃自殺をしたものと思われる。
「いま、科捜研で、元町の小西ビルの非常階段の踊り場から採取した毛髪と、川上巡査長の毛髪を鑑定中です」
刑事一課の長谷川警部補が銀縁眼鏡の向こうの眼を光らせて報告した。
「なるほど。元町といったら、山下公園から徒歩圏内だからな。川上巡査長は強盗を捕まえにいったと、岸田巡査がいっていたから、その強盗犯は山根という可能性がある。つまり山根を追って、元町の小西ビルにいったとしてもおかしくないということか」
瀬谷は黙りこくって報告書に眼を通している葉村に眼を向けた。
「そこで川上巡査長は強盗犯である山根を追いつめた。だけど、山根の指紋がついていたということから、おそらくそのときに拳銃の奪い合いになったのかもしれませんね。それで誤って山根を殺してしまった。だからその責任を取って川上巡査長は自殺した」
葉村はまるで独り言でもいうかのようにつぶやいた。
瀬谷はうなずいた。
「ま、それがいちばんしっくりいく回答だろうな。で、裏づけは取れているのか?」
葉村は首を横に振った。
「目撃者はいません。夜中ということもあり、一階と二階はブディックですでに営業していなく、三階のパブだけが営業していたようです。従業員の話だと、カラオケがうるさくて拳銃を発砲した音など何も聞いていないとのことですが、いま、本牧署に設置された特別捜査本部では、念のため、そこにいた客の洗い出しをしています。もしかすると、なにか見聞きしているかもしれませんので」
「だが、目撃者がいなくても、そのビルから川上巡査長の指紋と毛髪がでれば、状況証拠だけで、被疑者死亡による書類送検は決まりだな」
「そのようですね」
葉村はうなずいた。
「マスコミへの警察発表もやらなきゃならない」
苦虫をつぶしたような顔で瀬谷は吐息をついた。
「まったく、やりきれないな」
「またもや、警察不祥事ですからね」
葉村が同意するように相槌をうつ
「いや、そういうことでなく……」
瀬谷は頬を指でこすってからきりだした。
「報告によると、川上巡査長は今日の勤務が終わったら、十歳になる息子のクリスマスプレゼントを買いにいくといっていたみたいなんだ。ほら、今日はクリスマスだろ? なんだか、そんなことを聞くと、どうにもやりきれなくてな」

だが、川上巡査長の自殺と山根殺害事件の接点は見いだせないまま混迷を続けた。
山根敏彦が殺害されたビルからは、川上巡査長の痕跡はいっさい、発見されなかったからだ。
現場は念のため、鑑識課が指紋および、髪の毛一本も逃さずに掃除機で吸いとっている。
もし、川上巡査長がこのビルに入ったのなら、髪の毛一本落とさないということはありえない。
つまり、川上巡査長は、山根敏彦殺しの被疑者ではないということになる。
川上巡査長は、自ら不在証明をしたようなものだった。
だが、それなら、川上巡査長が自殺した拳銃から採取された山根の指紋は、いったいどういうことなのか。
なぜ、川上巡査長が自殺しななければならなかったのか。
こうなると、最後の頼みの綱である、三階のパブにいた人物を洗い出す以外、道がなかったのだが、なぜか本牧署にある、山根敏彦殺害事件の捜査本部はその後、進展がないようだった。

だが、夕方近くになって、このふたつの事件は意外な解決を迎えることになる。




「では、強盗犯の山根敏彦は、川上巡査長の拳銃を奪って自殺したということですか」
思ってもみなかった事実をつきつけられて、瀬谷は少しばかり動揺した。
横浜極東警察署の署長室のデスクに両肘をついて座っている富樫正義署長は、対峙している瀬谷にむかってゆっくりとうなずいた。
「だから、川上巡査長はそのことに責任を取って自殺した。そういうことで処理されることになった」
富樫署長はきっぱりとした口調でいった。
横浜極東署長は代々キャリアのポストなので、警視正の富樫もまだ40代なかばの若さだった。
かなり恰幅の良い体格に、頭髪を七三にきっちりと分けているせいか、年齢のわりにかなり老けてみえる。
その富樫が瀬谷を呼びだして、開口一番いった言葉が、青天の霹靂ともいえる、山根の自殺だった。
「しかし、待ってください。山根が拳銃で自殺したというなら、その拳銃を取り返して自殺した川上巡査長の指紋や毛髪が、山根の自殺現場になかったということは、どういうことだったんですか。」
瀬谷はこの点がどうにも納得いかなかった。
瀬谷の問いかけに、署長は咳払いをひとつしてから、声をひそめ、なにやらきりだしぬくいといった様子で、ポツリポツリときりだした。
「おそらくこのことは、そのうちいやでも聞こえてくると思うので、いちおう刑事一課長である君には言っておこうと思う。じつは小西ビルの三階のパブにいた人物のなかに、県警本部にキャリアがいたということだ」
署長の言葉に瀬谷は眼をみはった。





                                           (つづく)


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富樫はさらに声をひそめていった。
「話を訊くと、そのキャリアが拳銃自殺している山根を発見し、そばに落ちていた拳銃をハンカチで包んで、とっさに隠したらしい。なんでも警察仕様の拳銃だとわかり、そのままにしておくと、連日の警察官不祥事、上層部の責任問題になりかねないと思ったということだ。冷静に考えれば、そんなことをしたところでどうしようもないということがわかるんだろうが、そのときはかなり酔っていたらしい」
思わず瀬谷はうなった。
だが上層部にいるキャリアは、いつもそうだと思いなおした。
自分の任期だけは、大きな事件が起きないようにビクビクしているのが常だなのだ。
「そのキャリアはみつけた拳銃を懐にいれ、、ピルから慌てて出たということだ。そこに制服警官の川上巡査長が駆けてきたらしい。訊くと、たったいま、拳銃を強盗犯に奪われて逃走されてしまったといっていたそうだ。そしてまだ、拳銃を奪われたことは恐ろしくて署には報告していないということも」
瀬谷は唇をかみしめた。
なんとなくこのさきのことを聞きたくないと強く感じた。
「そのキャリアは、川上巡査長に、山根がこの拳銃で自殺したことを告げた。そして自分がここにいたことと、拳銃を現場から持ち去ったことは絶対に誰にも話してはならないと言いきかせ、拳銃を渡してその場をさった」
なるほどな、と瀬谷は苦い思いがこみあげてくるのをおさえきれなかった。
それでは川上巡査長は八方ふさがりだ。
なにせキャリアの証言がなければ、拳銃を所持している自分は、山根殺害の被疑者にもなりかねない。
たぶん川上巡査長はある種のパニックに陥ったんだろうと、瀬谷は察した。
拳銃を奪われてしまったということは、それだけで警察官にあるまじき行為である。
これだけでも、かなりのプレッシャーなのに、その拳銃を使って強盗犯に自殺された。
きわめつけは山根の自殺を証言してくれるキャリアは、ぜったいに話すなという。
八方ふさがりどころの騒ぎではなかった。
富樫署長は瀬谷からぎこちなく眼をそらすと、椅子から立ちあがって後ろをむいた。
「つまり川上巡査長は、山根が自殺したために責任をとって自殺した。その場にはキャリアなどいなかったし、拳銃も持ちさってはいなかった」
有無もいわさぬ口調でいった。
「しかし──」
なおかつ瀬谷は食い下がった。
けれども、振りかえった富樫署長は手で瀬谷を制して、いった。
「ものは考えようだと思わないか。川上巡査長は、殺人の被疑者という汚名を背負わなくてもいいということだ。それだけでも、遺された家族にとってもこれ以上のことはない。君だって、そう思うだろう」
富樫署長は同意をうながすように、瀬谷に視線をおいた。
瀬谷はその視線をうけとめた。
キャリアが、酔ったいきおいで拳銃を隠さなかったら、もしかしたら川上巡査長は生きていたかもしれない。
ありのままの事実を報告できる環境だったら、もっと違った結末になっていただろう。
瀬谷はとっさにこの言葉をのみ込んだ。
そういった心中を読みとったのか、富樫署長は瀬谷にとどめを刺すようにいった。
「それに、さきほど、本部からそう通達が来た。だから、これは上層部の決定でもある」
それはまるで、瀬谷に対してこれ以上、詮索するなといっているようだった。
絶対的な命令だった。
瀬谷はうなずかざるをえなかった。
上層部の決定なら、瀬谷がなにをいおうとムダなのだ。
それはいままでの経験からわかっていることだ。
何度、自分はそれを味わったことだろうと思った。
瀬谷は署長室を退出すると、門番のように鎮座してる副署長に一礼して、踵を返した。
その足取りは、いままででいちばん重いものになった。


横浜極東署の玄関の自動ドアが開くなり、凍えるような突風が吹きつけてきた。
まだ五時半になるかならないかするころだが、冬の陽はすでにとっぷりと落ち、あたりは夜の本番をむかえつつあった。
寒さに身を縮めながら階段を降りると、ちょうど葉村陽一郎が黒塗りの公用車の後方のドアから出てくるところだった。
葉村が階段を降りてくる瀬谷に気づいて、かるく会釈する。
あいかわらず、人に感情を読ませない無表情な顔つきだが、今日は一段と表情が凍りついているような気が、瀬谷にはした。
葉村は横浜極東署前の階段を上って、ゆっくりと瀬谷に近づいてきた。
「俺に寄るな」
とっさに瀬谷はいいはなった。
「瀬谷さん……?」
葉村は階段途中で立ちどまり、さらに表情を強ばらせた。
「悪いな、葉村さん。いまはキャリアの顔をみただけで、一発殴りたい気分なんだ。まったく、ちまたではこれ以上ないハッピーなクリスマスだっていうのにな」
瀬谷は真向かいにある、中華街のにぎわいに眼を向けた。
善隣門越しにみえる店の連なりのまえの道路には、昼間ほどではないが、大勢の人がごったがえしている。
「聞かれたんですね」
重々しく溜息をついて葉村はいった。
「ああ。署長じきじきにしかと聞いた。で、まさか、あんたがそのキャリアじゃないだろうな」
瀬谷は胡乱な眼つきを葉村にむけた。
「それはちがいます」
葉村はあわてて首を振ると、まるで事務的なことでも告げるようにきりだした。
「それに私は下戸なので、あまりそういったパブには飲みにいきません。仮に飲みにいったとしても、付き合いていどなので、間違っても未明までいることはないでしょう」
そのこたえに、いままで表情を硬くしていた瀬谷もフッとわらった。
「葉村さん。あんた、けっこうつまらん男だな」
「よくいわれます」
しれっとした感じで葉村がこたえる。
瀬谷は思わず吹きだした。
「あんたって、ほんとうによくわからん男だ」
葉村は静かに口もとをわらわせた。
「なあ、葉村さん」
「なんでしょう」
眼をしばたたいて葉村が訊く。
そのキャリアの名前を知っているか?
そう訊こうとして、瀬谷はとっさに飲みこんだ。
もし、ここで瀬谷が訊いたとしたら、葉村は喋るかもしれない。
が、それを訊いてどうする。
そのキャリアを一発、殴りにいくのか。
きっと、すっきりすると思うが、瀬谷自身の退職はまぬがれないだろう。
いや、自分だけならいいが、葉村まで巻きこむことになるかもしれない。
こういった噂はすぐにも広まってしまうものなのだ。
それが後々の葉村の出世に影響しないともいえない。
それでなくとも、キャリア同士の足の引っ張り合いは日常茶飯事と聞く。
だとしたら、この男をこういった瑣末なことに巻きこむべきではないのかもしれなかった。
だが、このまま何も起きなければ、いずれ葉村は警察のトップにつく日が来るかもしれない。
それで警察全体が変わるとは思えないが、なにかが少しずつ変わっていくような気がする。
そのころには瀬谷もほんとうによれよれの隠居じじいになっているだろうが、老後の楽しみとしてはそれも悪くはなかった。
葉村は自分を呼んだまま、黙りこんでいる瀬谷を怪訝にみつめた。
瀬谷はそれに気づき、あわててきりだした。
「あっと。あんたは何か用があって、うちの署に来たのか?」
「いいえ。ぺつに用はないのですが、ちょっと、帰りがけに寄ってみたまでです」
「ということは、もう、これからの予定はないということか」
「ええ、まあ」
葉村はうなずいた。
「それなら、ちょっと付き合ってくれないか」
「は?」
「いっとくが、べつに飲みにとかカラオケにいこうとかっていうんじゃないぞ。俺は間違ってもクリスマスの夜を男同士で過ごす趣味はないからな。いまからいけば、まだ間に合うだろうとおもってだな」
「いったいなんですか?」
「葉村さん。あんたは十歳の男の子の欲しいものって知ってるか?」
「はい?」
「つまり、ゲーム機だとか、いろいろあるだろう」
「いえ。それはちょっと、わかりませんが。でもいったいなぜ、そんなことを?」」
「ああ。川上巡査長の息子が十歳なんだそうだ。このさきをちょっと行ったところの官舎に住んでいるらしい。あんたなら、そのくらいの年齢の子供の欲しがるおもちゃとか知っていると思ってたんだが、ま、いいか。とりあえず、付き合うだけ付き合ってくれ。俺ひとりで選ぶよりも、あんたがいたほうが数倍ためになるだろうからな。どんなものになろうが、今日はクリスマスだから、細かいことは許してくれるだろう。なんたってクリスマスはサンタクロースがプレゼントを持って来ると相場が決まってる。ま、いくぶんよれよれで、見栄えも悪いサンタクロースだがな。子供にとっちゃ、なんでも嬉しいものさ」





                                            〈了〉


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