ba3fb31c.gif


哀しみはすべて希望へと転換した。
いまはただ、この計画を実行するだけだ。
そう。
この計画を実行するだけ。
ただ、それだけでいい。
僕は自分を奮起させるように大きくうなずくと、タイムマシンが装備されたトヨタに乗りこんで、すぐさまカーナビをたちあげた。
かなり昔の映画をヒントにした、この自動車タイプのタイムマシンは、最近のトレンドで、いまでは日本人のふたりにひとりは、もっているといわれる代物でもあった。
ハイブリッドの低燃費が売りで、もちろん普通の道路も走行可能だ。
日本の緻密な技術によって、一分一秒の正確な日時と場所が指定ができるので、世界でも爆発的ヒット商品だった。
僕はたちあがったカーナビに、戻りたい日時と場所を打ちこんだ。
もどりたい日時は、昨日のクリスマス・イヴ。
つまり、十二月二十四日午後八時ジャスト。
場所はK駅前の本屋「読んだらけ堂」
すぐに、カーナビがその場所に近いところを検索してくれる。
タイムスリップして、いきなりこの自動車が現れても、人をひき殺してしまったり、自動車に追突してしまって事故ったのでは元も子もない。
タイムトラベル用のカーナビは、ここ十年まえから、いまではあたりまえのように自動車に装備されるようになっていた。
場所の検索をすませると、僕は運転免許証をハンドルの中央に挿しこんで、トヨタのエンジンを作動させた。
免許がないと自動車自体が動かないので、いつも肌身離さず持ちあるいているのだが、それでもたまにどこかに置きわすれてしまって、ヒヤリとすることがある。
僕は普通走行から、タイムマシンにギアを入れなおすと、ハンドブレーキを倒してアクセルを踏みこんだ。
あとはほんの数秒のあいだ待つばかりだった。
一瞬ののち、目の前にはK駅前広場が現れた。
もちろん、昨日の十二月二十四日の午後八時ジャストのK駅前だ。
僕はすばやくギアを普通走行にチェンジさせると、ゆっくりとトヨタを走らせて、あいている駐車場のスペースにとめ、しばらく外の様子をうかがった。
それでなくても駅前というのは人手の多いところなので、用心にこしたことはない。
とくに注意をしなくてはならないのは、警察官の存在だった。
この計画がばれたら、罰金どころの騒ぎではすまされない。
タイムマシン免許の資格も取り消されてしまうだろう。
そうならないためにも、念には念を入れて計画をたてたのだ。
僕は頃合よしとみると、自動車からでて、「読んだらけ堂」に突入した。
そのとき、サングラスをかけ、キャップをかぶるのも忘れなかった。
なにせ、これから拉致する相手とは、つまり、僕自身なのだから。
道路を走るのにも規則があるが、タイムマシンに乗るのにも規則がある。
過去や未来にいけるということは、あったことをなかったことにできたり、未来を変えてしまったりできるから、どうかすると大事件になることもある。
といっても、歴史上の人物でなく、名もない個人の運命を変えるのは、歴史的にはさほど関係ないのかもしれない。
けれども、比較的かるい気持ちでやってしまう万引きだって、ちゃんとした犯罪のように、個人の運命を変えてしまうのも、また犯罪なのだ。
そういったことをなくすためにも、日夜、警察が眼を光らせている。
だが、警察官だって、そうひとりひとりの人間を見張ることなど不可能だ。
だから、タイムマシンを使った犯罪は、つぎからつぎへと後をたたない。
僕はおそるおそる昨日の僕に近づいた。
昨日の僕はそんなことなどぜんぜん気づかず、漫画雑誌に読みふけっている。
そのさまをみて、僕は自分のことながら、大いに腹がたった。
もとはといえば、こいつがすべて悪いのだ。
約束の時間をわすれて、漫画雑誌を読みふける、この昨日の僕が。
僕がいきなり肩をたたくと、昨日の僕は驚いたように振りかえった。
いったいどうしたのかと不思議がるそいつに、サングラスを少しだけずらして僕だということを告げると、有無もいわさず、むりやり手を引っぱって、人ごみにまぎれて駐車場にむかった。
「おいっ、いったい、なんだっていうんだ」
昨日の僕はそういいつつも、あまり抵抗しないのは、こんなところを警察にみつかったら、まずいことになりそうだと、本能的にわかっているのだろう。
僕は車のドアをあけると、そいつを運転席に押しこめた。
言葉で説明するよりも行動で示したほうが手っ取り早かった。
あらかじめ、僕の世界に戻るようにセットしてあったので、すぐにもトヨタは煙のように消えてしまった。
僕は昨日の世界にひとり残った。
これでアリバイはできた。
僕と昨日の僕とが入れ替わっても、誰も気づくはずがない。
なにもかも計画通りだった。
未来の僕が何をしたって、誰もが過去の僕だと思うだろう。
これから起きることなんで、ここにいる人間は誰もわからないのだから。
これで、彼女との約束を守れる。
僕が約束の時間の午後八時三十分に現れなかったせいで、彼女はずっと公園通りの車道脇のベンチに座って待っていた。
だから僕の来るのさえ待っていなければ、彼女はあそこにはいなかったはずなのだ。
大型トラックが、カーブを曲がりきれずに、そこに突っ込んでくることだってなかったはずなのだ。
僕が約束を守っていたなら、彼女は死ぬことはなかった。
すべては僕の責任だった。
僕は慌ててその場所に急いだ。
いまはまだ八時十六分。
問題の時間は、八時四十三分なので、ゆうゆう間にあう。
駆けつけると、彼女は公園通りの車道脇のベンチにすわっていた。
現れた僕をみて軽くほほえむ。
こんなにも早い時間から待っていたのか思うと、すこしだけ後ろめたい気分になったが、とにかく、一刻も早くここを離れることが先決だった。
僕は言葉を交わすのもそこそこに、逃れるように彼女の手を引いてその場から離れた。
街はクリスマス一色に装飾され、街路樹のイルミネーションの青色が幻想的に輝いていた。
クスリマス・イヴの夜は、いよいよ最高潮に更けていく、と、計画の成功に喜色満面の僕は、そう思って浮かれていた。
だが、それが起きたのは、僕と彼女がちょうど、横断歩道のない道路を渡ろうとしているときだった。
いきなり目の前に自動車が現れたのだ。
メーカーまではわからないが、タイムマシンが装備された自動車だった。
こともあろうにその自動車は、何のためらいもみせず、まっすぐに彼女に突っ込んでいったのだ。
僕はそれをみて唖然としているしかなかった。
彼女が自動車に跳ね飛ばされるのを黙ってみているしかなかった。
かなりの距離を跳んで地面にたたきつけられた彼女は、ありえない角度に体を折り曲げて、あとはピクリともしなかった。
即死したのは、僕の眼にも明らかだった。
腕時計をみると、時刻はちょうど、八時四十三分。
運命の時間だった。
それにしても、なぜと僕は思った。
なぜ、タイムマシン、それもカーナビを装備している自動車が、彼女を轢いてしまったのかと。
カーナビはあらかじめ、誰もいないところ、何もないところにタイムマシンをみちびく画期的な装置のはずだった。
それなのにもかかわらず──
そう思って、僕は、はたと気づいた。
つまり、カーナビはそれを察知できなかったのだ。
僕がそうしたからだ。
なぜなら、本来、彼女は僕とこの道路にはいないはずなのだから。





                                             (了)